前回お約束したとおり、今回は通り魔・無差別殺人の原因を教育の立場から研究された尾木直樹先生の著書をご紹介します。本来、書籍の中身を紹介するなど、無駄なことです。本を読めばいいのですから。でも、この記事では、しあが特に注目した点と残された課題をまとめておきたいと思います。のちのちこの本に立ち戻ることがありそうだからです。もちろん、興味を持たれた方は先生の著書『「よい子」が人を殺す~なぜ「家庭内殺人」「無差別殺人」が続発するのか』を手に取ってご覧ください。
まず最初に一点、読んでみて気がついた著書の特徴をお話します。尾木先生は教育現場に長くいらした方なので、成人の通り魔事件でも、その生い立ちや教育環境に触れて問題を掘り起こしています。そうなんです。防犯に関して、犯罪機会論に舵を切った警察とは反対に犯罪者の育成歴や内面に焦点をあてて問題を掘り起こしています。しあは、そこに興味を惹かれました。
全体概要
では、著書の全体構成を簡単にご紹介します。
- 無差別殺人より先に、家庭内殺人が続発していた
- 事件に見る「カプセル家族」ー個々人の孤立化、家庭の孤立化、学校などの集団の孤立化
- 家庭と学校生活の変化、変化した親子関係
- 無差別殺人は自滅型の自殺行為
- 家庭内殺人・無差別殺人脱出の道
大きな流れをまとめると、尾木先生はまず、実際のいくつかの事件を詳細に洗い直すところから始めています。個々の事件の捜査記録を丁寧に見返し、必要な調査を行い、その中から原因を拾い上げていきます。この辺りの生々しい事件の実態は、読む価値が大きいと思います。どれだけ悲しく切ない事情があったか知らずに論理をたどるのは、問題を「自分で考える」道を閉ざすことになるからです。もっとも、世間に事件は山ほどあります。幸いなことに現代はネット検索をすればいくらででも調べることができます。まず、事実を確認することから始めたいものです。
次に調べ上げた事件の分析から、いくつかの共通項をみつけていきます。社会の抱える問題は、いくつもの現れ方をするものですが、そこに関連性をみつけ、その奥にある問題と原因をあぶりだしていきます。このあたりは論理的分析過程ですが、それが「なるほど」と納得してしまうのは、やはり事実の確認があるからですね。
そんなこんなで、一連の事件の背景にあるものは、人々が社会の中で「孤立して生きている」ことの歪みであることが見えてきます。その現れ方は様々でも、「生産性追求」と引き換えに置き去りにしてきた「ともに暮らす社会の放棄」が根底にあって「考えられないような事件」が続発しているとまとめられています。その「考えられないような事件」の実例も多数紹介されていますが、そういわれてみれば「なるほど、そういうことだったのか・・・」と思うようなお話でした。
全体の流れの説明はこれくらいにして、内容を順番に追ってみましょう。
続発する家庭内殺人
なにはともあれ、家庭内殺人事件の発生状況を確認しましょう。
- 2006/6福岡の中学3年生が兄をめった刺しにし、浴槽に水を貼って殺害
- 2006/6奈良県の私立高1年生が自宅に放火し、母親と弟妹の三人を殺害
- 2006/7千葉県佐倉市でアルバイトの長女が自宅に放火し、父親が焼死
- 2006/7大阪府豊中市で大学4年生の三男が母親をハンマーで殴殺
- 2006/8福岡市那賀川町で、大学3年生の次男が母親を殴殺
- 2006/8北海道稚内市で長男が友人の少年に、30万円で自分の母親の殺人を依頼し殺害
ちょ、ちょっと待って。こんな頻度で発生してますの?本当に?驚いたしあは、法務省の資料を洗ってみました。あ、酷い。
年度 | 殺人事件全体数 | 親族間殺人の件数 | 親族率 |
2006 | 1300 | 500 | 38.0% |
2010 | 1200 | 550 | 45.0% |
2011 | 1150 | 600 | 52.2% |
2015 | 1100 | 580 | 52.0% |
2019 | 875 | 475 | 54.3% |
2022 | 800 | 450 | 56.0% |
発生した殺人事件の中で一番多いのは「親族間殺人」です。しかも半数以上を占めており、この傾向は変わっていません。また、「親殺し」に限ってみていくと、1990年が67件だったのに対し、2005年133件、2006年154件と、15年で約2倍になっています。具体的な中身については、尾木先生の著書の中に「もう許してください」レベルの事例がならんでいます。詳細をお知りになりたい方は、直接著書を当たってください。で、家庭内殺人が続発するようになって、連鎖するように「無差別殺人事件」が発生するようになります。いつ巻き込まれるか判らないという恐怖が社会を覆い始めます。
秋葉原無差別殺人事件
なんとなく状況の想像がついたところで、著書の中から無差別殺人の代表事例として秋葉原無差別殺人事件を紹介しておきます。
Ⅰ.事件の概要
2008/6/8元自動車工場派遣社員の加藤 智大(かとう ともひろ)25歳は、運転する2トントラックで赤信号を無視して歩行者天国に突入し、歩行者5人をはね3人を死亡させました。加藤はそのまま車を降り、道路に倒れこむ被害者の救護に集まった通行人、警察官ら17人を所持していたダガーナイフで立て続けに襲い、一瞬にして4人の命を奪い、10人に重軽傷を負わせました。
Ⅱ.経歴
加藤は小中学時代は成績優秀で、スポーツ万能、性格も明るかったという。高校は青森県下随一と言われる進学校に進学。しかし、その中にあっては中の下の成績に転落、友人も少なく、勉強もしなくなります。母親への暴力も出はじめ、母は智大を諦め、弟へと期待を移していきます。ゲームに熱中して勉強をしなくなり、大学進学もかなわず、自動車関係の短大に進学。しかし、教員資格を目指し4年生大学への編入を試みますが失敗。このことで学習が集中できず、結局整備士資格も取れず、その後全国各地を派遣社員として渡り歩きます。
Ⅲ.契機
最後の工場では厳しい塗装工程の仕事を正社員を目指して真面目にこなしていました。ところが、あとで撤回されたもののいったん解雇通知を受け、自分のツナギがロッカーからなくなったのをきっかけに、「会社は自分をバカにしている」と激怒し、そのまま早退。これが2008/6/5のこと。その2日後に無差別殺人事件を起こしています。
いかがでしょう、加藤智大の輪郭が少しは見えてきたでしょうか?実は加藤はブログを大量に書き残しており、その内容からどんなことを考えていたかをうかがい知ることができます。おいおいご紹介しますが、ざっくり言って、「中学高校時代の挫折」のまんま、時が止まったかのように、心の成長が止まっています。挫折、口惜しさ、傷ついたプライド、劣等感、孤立、ネットへの逃避、被害者意識と並べれば想像しやすいでしょうか。
凶行の3つの原因
尾木先生は捜査資料を詳しく調査し、加藤が記録していたブログの内容や弟の手記、近所の証言などからその人物像と心理状態を追跡し、凶行の背景を推察し、大きく3つの原因を抽出します。
Ⅰ.家庭教育上の諸問題
Ⅱ.インターネットへの依存
Ⅲ.日雇い派遣労働者に対する人権無視の扱い
これで自暴自棄になった可能性が高い、と分析されています。以下に、その内容を詳しく見ていきましょう。
Ⅰ.家庭教育上の諸問題
最初は家庭教育、育成史です。まず母親に相当問題があったようで、以下の3点にまとめられています。
- 学習指導方法の間違い
- 躾教育の異常さ
- 家族関係の(親子関係)の不自然さ
尾木先生は、「近所と交流がなく、閉じこもった「カプセル家族」状態の中で、母親からあまりに歪んだ人格と学習観とその実践を強要されていたことが、背景に考えられる。」と指摘します。詳しく見てみましょう。
1.学習指導方法の間違い
取り調べ時の加藤の供述
- 小中学生の頃、母から勉強しろと言われて嫌だった
- 父親も厳しかった
- あんなのは他人だ。関係ない
加藤のブログの記載
- もし一人だけ殺していいなら母親を、もう一人追加していいなら父親を
- 親が周りに自分の息子を自慢したいから完璧に仕上げたわけだ。俺が書いた作文とかは全部親の検閲が入っていたっけ
- 親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やりさせられていたから勉強は完璧
弟の手記
- 勉強を教えてもらうときも10秒ルールがあり、質問と同時に母は「10・9・8・・・」と声に出してカウントダウン。10秒以内に正答しないと、毎回容赦なくビンタが飛んだ。泣いてもビンタだった。
- 実際は、作文や絵に関してテーマや文章、構図を母が指示します。ねらいは「先生のウケ」でした。私たちは機械のように従って文章を書き、絵をかくのです。こうして母の狙い通り、先生たちはその文章や絵を褒めてくれました。
- 原稿用紙に作文を書くとき、一文字でも間違えたり汚い字があると書き直しです。消しゴムで修正するのではなく、最初から書き直しになります。書いては捨てを繰り返し、出来上がるのに1週間近い時間がかかるのが常でした。
まるで拷問ですね。こんなことで学力がつくはずがないのですけど、母親はそれが判らない人だったようです。ここにも人間の孤立化、つまり「母親自身が社会から孤立化していた」ことが見て取れます。家族が外部から孤立しカプセル化し、内部がまるでカルト教団化しているのと同じ、と尾木先生は指摘します。子供の教育について、外部から情報を集めたり、自分の知識を広げることができていれば、こんな間違いには気づくと思うのです。でも、こういう「独善的」な人は、自分が独善的であることに気が付かず、自分が正しいと思うことを突き進んでしまうのでしょう。先生が言う通り、外部とつながりが無ければ自分のそんな問題に気付けません。
ただもう一つ、地域と時代。これはしあの推論なのですが、母親が育った時代と地域を考えると、もしかして程度は違えど似たような勘違いをしていた家庭が他にもあったと思うのです。デューイらによるプラグマティズムが日本に紹介されたのは結構早かったのですが、教育の現場で「総合的な学習の時間」などとして具体的な形となったのは「ゆとり教育」中葉の2000年のこと。当時でさえ、教師からは「どう教えたらよいか?」と戸惑いの声が聞かれたと言います。まして母親が教育を受けた1960~70年代など、産業構造の転換や高度経済成長に圧迫されて方針転換された「中央集権的な頭ごなし教育」が普通だったはずです。教師が生徒を殴って指導するのは熱血の証だった時代です。そんな教育環境でそこそこ成績が良かった母親が、学歴競争社会への恐怖と点数主義に乗せられていびつな教育方法を鋭角的に子供にぶつけた可能性はなかったでしょうか。しあの推測ですけどね。怖い事です。だから学びの窓は開けておかないといけません。
2.しつけ教育の異常さ
長くなりますので、アキラメてしっかりついてきてください。2つめは人権無視の躾です。
近所の証言
- 両親とも躾に厳しく、意に沿わないと氷点下の雪の中に何時間でも罰として立たせていた
- 心配して「入れてやったらどうか」と頼んでも、母は「この子が悪いのだから」と許さなかった
加藤のブログの記載
- 好きな服を着たかったのに、親の許可がないと着れなかった
弟の手記
- 叱るときも怒るときも理由を一切説明しない。理由は自分たちで考えた
- 食事の途中で母親が突然激昂し、廊下に新聞紙を敷きはじめ、その上にご飯やみそ汁などばらまいて、「そこで食べなさい」と言い放った
- 兄は泣きながら新聞紙の上に積まれた食事を食べていた
- テレビはドラえもんとまんが日本昔ばなし以外は一切禁止。ニュースさえ禁止
- ゲームも禁止
- 異性との交際も一切禁止。年賀状が届いただけでもあげつらって恥をかかせた
絵にかいたような虐待です。名人級の「毒親」ですね。
3.家族関係(親子関)不全の問題点
血も凍るような親子関係を見てきたわけですが、加えてこの家族は、お互いのことナーンニモ分かっていなかったことが発覚しました。弟は、
- 父が信用金庫に勤めていること
- 母もそこで父親と知り合い結婚したこと
- 母も兄と同じ高校の卒業生であること
- 母も大学を目指したがとどかず、信用金庫に勤めたこと
これらのことを、事件発生後マスコミが調べ報道したことで「初めて知った」と書き残しています。外部に閉じたカプセル家族であっただけでなく、家族内もバラバラ家族だったわけです。
以上3領域にわたって家庭教育の問題点をまとめてみましたが、尾木先生は「母親のしつけの厳しさは、すこやかな人間の成長を願う素朴な母親の愛や叱りかたとはいいがたい。」「親の独りよがりな家庭教育は極めて危険である」と指摘します。ウ~ン、しあもちょっとドキリ。確かに、親になる勉強をしてきてないのに、子供ができたら無条件で親になれると考える方がオカシイかも。
補足ですが、雪の中に立たせて罰を与えるという過激な躾は、1997神戸連続児童殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗の母親によく似ているそうです。酒鬼薔薇の母親も罰として、玄関前の道路で腕立てふせを命じるという「世間体を気にした教育熱心さ」で有名だったそうです。そりゃ、家族バラバラになりますよね。加藤智大はブログに綴っています。
- どうして俺だけ一人なんだろう
- 望まれずに生まれて、望まれて死んで
- 待っている人なんていない 俺が死ぬのを待っている人はたくさんいるけど
- みんな俺を敵視している 見方は一人もいない この先も現れない
- 不細工な俺は存在自体が迷惑なんだっけ
みなさん、どう感じますか?まあ、「もっと厳しい環境でも、しっかりしている人はいる。甘ったれている。」と思う人もいるかもしれません。でも、人の心の耐性は人それぞれですが、誰しも限界はあるものですよ。その限界を超えれば、誰でも精神崩壊する危険性はあります。その目線で加藤の心理状況を冷静な頭で想像してみてください。それをしてみてもあまり加藤の心情をイメージできないようでしたら、一度しあのブログから離れてみてください。今はしあのたびを読むときではないのかもしれませんよ。
Ⅱ.インターネットへの依存
加藤は5月から事件の6月8日までブログを3000回更新、多いときで1日200回を超えていたそうです。孤立した現実生活の中で、逃避先がインターネットだったわけです。しかし、あまりに悲惨な記事内容に返信もほとんど付きません。ブログ回数からわかる通り、それは完全に「独り言」「つぶやき」となります。
- 俺が余る理由は不細工だからだ
- 彼女さえいればこんなにみじめに生きなくていいのに
- 顔だよ顔 全て顔 とにかく顔、顔、顔、顔、顔、顔
- 友達は欲しい でもできない なんでかな不細工だから 終了
- 友達募集するときは、他に友達がいない人を募集しなきゃだめか
- でもどうせすぐ別の友達ができて、俺を裏切るんだ わかってる
- 死ぬまで一人 死んでも一人
尾木先生は言います。「なんて自己肯定感の低い青年であることか。思春期における自己と向き合う精神的な内面化作業が極めて表面的であり、思春期の発達が遅れている。」「あれほど自分を見つめさせない、ロボット化させる特殊な厳しい家庭教育や、先生ウケの良い子を演じさせられては、自分に自信がもてなくなるのは当然かもしれない。」「だからこそ容疑者は社会や環境を怨み、なんでも他人のせいにして甘えるのだろう。」はあ・・・、しあも読むのが辛くなってきます。
加藤は、事件当日もブログを更新しています。
- 秋葉原で人を殺します。車でつっこんで、車がつかえなくなったらナイフを使います。みんなさようなら。
まるで、実況中継です。「みんな」って、誰を想像しているんでしょう?実行に至るまでバーチャルな世界で主役を演じ続けていました。警察では「誰かに止めてほしかった」などの供述がありますが、自分で描いた劇場型のシナリオに没入しているように思われます。その反面、凶行に使うナイフを購入する際には「店員さん、いい人だった。人と話すのっていいね。」などとブログに書き込んでもいます。現実世界において生の人間との交流を切に望んでいたのも明らかです。
本人も「ネットに取りつかれていた」と供述(2008/6/54)しているように、ネット(ケータイ)が「生活の中の話し相手」「心のつぶやき」になっており、「ネット依存」に陥っていたことは明らかです。尾木先生は言います。「容疑者のようにバーチャル空間の中でここまで瞬間、瞬間をつぶやき続けていけば、いつの間にか現実世界との精神的な境界があいまいになりかねない。」「こうしてネットに書き込み続けることで、凶行のための舞台が整い、その主役になりきっている。」「さらに、書き込んだ内容に、自ら酔い、興奮する。」「発信した内容に、いつの間にかもう後戻りできない心理状態、錯覚に陥り、本当にバーチャル劇場型犯罪の主役として凶行に突進したのではないか。」と結んでいます。孤立した世界で、いわゆる「自己暗示(?)」にかかっていったのかもしれません。
加藤の場合はネットの中でも孤立していたようですが、一般的なSNSでも、だいたい似たような人が集まることが多いので、価値観もしくは思考傾向が増幅・再生産される傾向があると思います。ECでもレコメンデーションエンジンが類似商品を提示するように、油断してるとネットは人の情報選択の幅を狭くする危険があるようです。
Ⅲ.日雇い派遣労働者に対する人権無視の扱い
さあ、ラストです。派遣労働は「自由な仕事選択のひとつ」などとキレイゴトを言う学者様がいらっしゃいますが、客観的に見て、明らかに劣悪な労働環境のたまり場です。「でした」と言いたいところですが、現在も多くの問題を抱えています。
1989/12/29東証平均株価は38,915円でしたが、バブル崩壊により、1992/8/18には14,309円まで下落、株価総額も611兆円から269兆円に暴落。個人投資していない人には直接関係ない話と思われがちですが、会社は自分の資産を現金だけでなく株式で保有していることが少なくありません。その株価が半分以下になったということは、会社の換金資産であった株式が「400兆円近く無くなった(東証だけで)」、ということを意味します。その当時、雇用が維持されたとしたら、それは途方もなく「運が良い人」でした。戦後、15行あった都市銀行は今では4行しかありません。それから以後失われた30年、日本の実質賃金はまったく横ばいです。それがどんなことか、諸外国と比較して確認してみてください。経営者にしてみても、経営を存続させるためには、労働者をいかに安く使うかが生命線でした。安く使うだけならまだしも、まるで奴隷のように社員を扱う「ブラック企業」、上司によるパワハラ、暴行殺人事件が頻発します。古い資料はネットで拾うことが難しくなっていますし、具体的事例は情報保護の観点から制限もかかっていますが、とりあえず厚生労働省のパワハラ資料を当たってみてください。行動力のある人は、近くの労働基準監督署に「パワハラの勉強したいので、事例がまとまってるものを教えてください」などと聞いてみるのもの面白いでしょう。加藤事件にまけないくらい悲惨な物語が記録されています。抗おうにも「嫌なら辞めろ、代わりに働きたいヤツはいくらでもいる。」という言葉が返ってくるだけでした。尾木先生は「派遣労働者の中にも誇りを持って働いている人もいる」とエスケープを挟みますが、社会全体を見る限りにおいて、それは特殊な事例と言わなければなりません。そんな環境の中、加藤も派遣労働者して働いています。
- 人が足りないから来いと電話がくる。俺が必要だからじゃなくて人が足りないから。誰がいくかよ
- 私の価値が自給1,300円から自給1,050円になりました。ますます安い人間に
- 作業場行ったらツナギが無かった。辞めろってか。わかったよ。
- あ、住所不定無職になったのか。ますます絶望的だ。
- 彼女がいれば、仕事を辞めることも車を無くすことも夜逃げすることも携帯依存になることもなかった
尾木先生は分析します。
単純な経済的貧困というより、社会的に排除され、精神的文化的に孤立し、人としてリスペクトされない苛立ちやストレスといった心の貧困状態の葛藤ぶりが見事に表現されている。成績優秀だったがために、より高い位置から「滑り台社会」を猛スピードで滑り落ちる恐怖があったのではないか。この落差は「勝ち組はみんな死んでしまえ」といった攻撃性や「トラックのタイヤが外れてカップルに直撃すればいいのに」とか「やっぱり他人の幸せを受け入れることはできません。知っている奴ならなおさら」などという社会的孤立感と激しい嫉妬心へと転化するのである。なお、ブログに頻出する「彼女」とは実在の異性と言うより「精神的安定」の象徴としての「彼女」を求めているのであり、要は「人とのつながり」を意味しているのではないだろうか。それは、弟の手記からも容疑者が「女好き」とは無縁であったことがわかっているからだ。つまり、彼にとって「彼女」とは生活と心の安定であり、派遣ではなく正社員として安定した普通の生活を確保することではなかったか。
こうして尾木先生はまとめにたどり着きます。
この凶行を生んだ「背景要因」は「Ⅰ.家庭教育のゆがみ」であるものの、直接の「引き金」になったのは「Ⅱ.インターネットへの依存」と「Ⅲ.奴隷のような不安定雇用」にあることは間違いなさそうである。
対策提言
以上の分析を踏まえて、尾木先生は対策を提言します。
1.安心できる家庭を
家庭は学校と関係なく、安らぎの場であること。「勉強ができなくとも、お母さんはお前のことが大好きなんだよ」と、自分らしい方法で愛情表現を示していれば十分ではないか。他者や数字との比較ばかりしていては、子供が意欲的に生き、人に対して優しく寛大な人物に育つための自己肯定感がたくましく育たない。自己肯定感さえ強ければ、どんなに困難が待ち受けていても、子供と言うものは必ず前進するものである。子供たちは一人ひとり別の輝きを持っている。その光を消さないように各家庭でどっしりと腰を据えたいものである。
2.ネット依存からの脱出
ネットの検索機能の便利性だけに目を奪われていると、子供の人格を歪め、思春期の自己相対化(客体化)、「内面化」という最も重要な心の成長を保障できない。特に思春期や青年期の人としての発達においては、現実世界での人間関係が決定的に重要である。アクチュアルな人間関係がうまく構築できなければ、ネットの世界でも確かなコミュニケーションが取れるはずがないからである。
3.派遣労働にブレーキを
「どうせ今月でクビだもん」「クビ延期だって」「別に俺が必要なんじゃなくて、新しい人がいないからとりあえず延期なんだって」などのブログに共感する派遣労働者は多いという。人間をモノ扱いし、労働力の調整弁としてしか考えないような雇用のあり方は働く人の生活を不安定にするばかりか、精神不安、人間不信や孤立感を生み出し、人としての誇りを揺さぶりかねない。今すぐに変えるべきであろう。また、雇用問題だけでなく、この国の社会保障や福祉の問題も含めて、人が人として安心して暮らせ、人々とつながる喜びを肌で実感できる「協力社会」へと日本を立て直す大きな視点からとらえ直すべき時期にきているのではないだろうか。
これが対策と言われても、なんだかピンとこないところがありますが、対策については尾木先生だけが考えることではないと思いますので、みなさんもよってたかって提案していただくのがよいと思います。
無差別殺人に共通する4つの要因
ここまでは、代表事例として加藤智大の秋葉原無差別殺人事件をたどってみましたが、尾木先生の著書では他にいくつもの事件が分析されています。こうした一連の分析を通じて、先生は無差別殺人犯に共通する4つの特徴を指摘します。
- 誰でもよかった
- 容疑者は真面目でおとなしく、成績優秀で、典型的な「よい子」である
- 中学高校で、普通の子供が味わうことのないような深刻な挫折に見舞われている
- 格差社会特有の負け組に対する人格無視の扱い
詳細分析は著書を当たっていただきたいのですが、まとめとして尾木先生は「依拠すべき家族も働く場所もなくては、孤独と孤立、絶望感はすさまじく、自暴自棄に陥って無差別殺人と言う最悪の犯罪に走ったとしても不思議ではないかもしれない。」と述べています。
しあの感想
そこそこ優秀な子だからこそ、挫折は大きな衝撃たったのかもしれません。そこにきて、家族は頼れず、職場では見下され、孤立した場合、自分だったらどうするか・・・。みなさんはどう思いますか?しあは、全員が凶行に走るわけではないにしろ、一定確率の人が自暴自棄の犯行に及んでも不思議ない気がします。しあはこのあとぽつりぽつりと、思うがままに他の無差別殺人事件や安倍総理殺害事件などの加害者の育成歴や生活状況を調べてみたのです。調べた限りでは、100%同様な状況を確認してしまいました。これは相当に不気味です。だとすると「この環境を変えない限り、同じような事件は継続する」ことを意味します。どうしましょ?
ここでしあは、少したじろぐのです。尾木先生は対策を提案していますし、方向性としては賛成なのですが、差し当たって、しあに協力できそうなことがありません。具体的に何をしたらよいのか判らないのです。そうなると、テレビのコメンテータが言った「しかし、こんな事件は防ぎようがないですよね。周りに気をつけて生活するしかないですよね。」という言葉を思い出すのです。事件が続発することを覚悟して、気を付けて生活するのが現実的でしょうか?
具体的に何ができるのか?を宿題に、次のお宿を探そうと思います。今回はここまでです。